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東京地方裁判所 平成9年(ワ)2880号 判決 1998年1月22日

原告 和田A子

右訴訟代理人弁護士 国保修敏

被告 株式会社わかしお銀行

右代表者代表取締役 甲山B夫

右訴訟代理人弁護士 新井宏明

同 大森恆太

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し金一五〇万円及びこれに対する平成八年一〇月二八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、盗難に遭った原告の預金通帳を使用してなされた第三者の預金の払戻請求に応じた被告の従業員には注意義務違反の過失があったと主張して、民法七一五条の使用者責任に基づき、被告に対し原告の被った損害の賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実等

(<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。)

1  原告は、年令が八五才を超える老人であり、平成八年一〇月当時、被告銀行(旧商号・株式会社太平洋銀行)a支店に普通預金一二二万九二二八円、定期預金合計金四三万六九九二円を有していたが、右預金の通帳(名義は「和田A子」、口座番号<省略>。以下「本件通帳」という。)及び原告の届出印は息子である和田C雄(以下「C雄」という。)に預けていた。

2  C雄は、平成八年一〇月二五日(金曜日)午後八時から午後九時三〇分ころまでの間、食事をするため自家用車を東京都港区<以下省略>の道路側面に駐車していたところ、車内に置いていた本件通帳を何者かによって盗まれた(ただし、C雄がこの盗難に気付いたのは同月二八日になってからである。)。

3  本件通帳からの預金払戻しの状況は次のとおりである。

(一) 同月二八日午前九時四分三六秒に、二〇才位の若い男(以下「乙川D郎」という。)が被告銀行b支店のロビー内に入り、受付番号票の交付を受けた。乙川D郎は、記帳台で普通預金払戻請求書を作成することなく、ロビーの椅子に掛けたままであった。

(二) 午前九時八分五三秒、窓口担当者丙谷E美(勤務年数二年六月、窓口業務経験年数一年三月。以下「丙谷行員」という。)が受付番号を呼ぶと、乙川D郎は、カウンターの前に来て、「これをお願いします。」と言って、口座番号欄に「<口座番号省略>」、金額欄に「1500000」円と各記入され、「和田A子」名の署名があり、かつ、「和田」の印影が押捺された普通預金払戻請求書(乙第一〇号証。甲第一号証及び乙第一号証はいずれもその写しである。以下「本件払戻請求書」という。)及び本件通帳を窓口に差し出した。

(三) 午前九時八分五七秒、丙谷行員は、「今日の日付と取引コード126の記入をお願いします。」と言ったところ、乙川D郎は、面前でこれを記入した上、午前九時九分七秒、カウンターから離れ、ロビーの椅子に腰掛けた。

(四) その後直ちに、丙谷行員は、本件通帳所定欄に押捺された原告の届出印の印影と本件払戻請求書の印影を平面照合(両者を平面に置き、見比べること)し、一致を確認した上で、所定の出金のオペレーションをした。

(五) 午前九時一二分六秒、丙谷行員は、出金手続後、本件通帳、本件払戻請求書及び現金の確認をしたところ、本件払戻請求書に本件通帳が他支店の通帳であることを示す「ネット26」が赤い文字で表示されたため、再度印鑑照合をし、一致を確認した。

(六) 午前九時一二分二七秒、丙谷行員は、預金課長丁沢F介(勤務年数二一年六月、預金課長業務経験年数一二年。以下「丁沢課長」という。)の検印を受けるため、丁沢課長の席に赴き、本件通帳及び本件払戻請求書を丁沢課長に渡した。

(七) 午前九時一二分三一秒、丁沢課長は、本件通帳所定欄に押捺された原告の届出印の印影と本件払戻請求書の印影を平面照合し、一致を確認した上、午前九時一二分五八秒、本件通帳及び本件払戻請求書を丙谷行員の所へ戻した。

(八) 午前九時一三分一六秒、丙谷行員が、乙川D郎に渡す景品を用意した上、午前九時一四分一五秒、「和田さん」と呼んだところ、午前九時一四分三一秒、乙川D郎がカウンターに来て、本件通帳及び現金一五〇万円を受け取ってセカンドバッグに入れ、景品を小脇に抱えてロビーから出た。

(九) 乙川D郎は、本件通帳及び本件払戻請求書を差し出してから右現金を受け取るまでの間、足を組んでロビーの椅子に腰掛けたままであり、ロビー内にいる間、終始平然としており、態度に不審な点はなかった。

4  なお、被告銀行は、右3の払戻し前に事故届を受けた事実はなかった。

また、原、被告間の総合口座取引においては、普通預金について、その残高を超えて払戻しの請求があった場合には、被告銀行はこの取引の定期預金を担保に不足額を当座貸越として自動的に貸し出し、普通預金へ入金のうえ払戻しするものとされているところ、右3の払戻しにより、本件通帳の普通預金はその全額が引き出された上、定期預金を担保に金二七万〇七七二円が貸し越される結果になった。

二  本件の争点

原告は、本件において、預金支店と引出支店が異なり、名義人が老女なのに二〇才位の若者が朝一番に預金全額以上の引出しに来ていることに加え、本件払戻請求書に押捺された印影と原告の届出印の印影とはよく見ると異なるものであるから、丙谷行員及び丁沢課長としては、右預金を払い戻すに際しては、①電話で預金者本人に確認する、②引出人に身分証明書の提示を求める、③引出人に住所・電話番号を書かせる、④引出しに応じる前にa支店に照会する、といった措置を講ずべき注意義務があるのにこれを怠った過失があると主張しており、右主張の成否が本件の争点である。

第三争点に対する判断

一  本件払戻請求書(乙第一〇号証)に押捺された「和田」の印影と、いずれも原告の届出印の印影が押捺されている昭和六一年一〇月三一日付普通預金申込書(乙第二号証)、平成七年四月二六日付月間入出金合計記帳サービス申込書(乙第三号証)及び平成八年一〇月二八日付証書(通帳)喪失届(乙第四号証)の各印影とを対照すると、前者と後三者の印影は、「和」の「口」部分の上部が枠に接して歪になっている点、「田」の中横棒の右端が空いている点等の特徴が一致しているほか、その大きさ、形等を含め極めて酷似していることが認められる(なお、文字の太さに微妙な相違を認めることができるが、それは押捺するときの力の入れ具合、朱肉の付着具合によって生じ得るものであって、このことによって印影が異なるとはいえない。)。

ところで、この点に関し、原告は、前者と後三者の印影との間では、「田」の文字の中縦棒の形、左の縦棒の形態、白ヌキ部分の形態・面積、「和」の字のノ木偏の左のハネ方、「口」の白ヌキ部分の形態・面積などの特徴が異なると主張するが、前者と後三者の印影を比較・対照しても、右差異を識別することは極めて困難であるといわざるを得ない。

右のとおりであって、本件払戻請求書に押捺された「和田」の印影は、原告の届出印の印影とその差異を容易に識別し得ないほど類似しているものと認められる。

二  また、原告は、本件において、預金支店と引出支店が異なり、名義人が老女なのに二〇才位の若者が朝一番に預金全額以上の引出しに来ていることを問題視するが、「預金支店と引出支店が異なること」、「名義人が老女であるため使いの者が預金を払戻しに来ること」、「払戻しをする者が朝一番に来店すること」、「預金全額以上に引き出すこと」は、いずれも通常あり得ることであり、特段の疑念を抱かせる事情に当たるものとはいえないというべきである。

三  右の一、二に判示した認定及び判断に加え、前記第二の一の3のとおり、乙川D郎に特段の不審な挙動等があった形跡もない本件においては、被告従業員には、原告が前記第二の二の①ないし④に主張するような措置を講ずべき注意義務は存在しないものというべきであり、他に右注意義務の存在を基礎づけるに足りる事由が存在することを窺わせるような原告の主張立証はない。

四  よって、原告の本訴請求は、その余の点について、判断を加えるまでもなく、理由がない。

(裁判官 土肥章大)

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